21世紀を支える若手群像時代を変える「出会い」提供
日本経済新聞(1992年)

夢は世界の交流拠点

「人と人が出会えば化学変化が起こり、そこから新しい何かが生まれる。そのためのビューマン・ネットワークの拠点にしたいんです。」
JR東京駅から歩いて5分、八重洲の呉服橋ギルの8,9階にある『ひょうご倶楽部・東京』の一室で、宮内淑子コミュニケーション・ビューロー代表の目が輝く。

ひょうご倶楽部・東京は、7月に兵庫県が音頭をとって開設した。兵庫県、首都圏を舞台に活躍する人々、企業や団体の情報交換を目的にした会員制組織だ。広さ350平方メートルほどのスペースにワープロやファクシミリを備えた簡易オフィス、ラウンジ、約100人が入れるホールなどがあり、会員なら自由に使える。県関係の資料を集めたコミュニケーション・ビューローには会員でなくても立ち入り自由だ。

兵庫県主任広報専門員の肩書きを持つ宮内は倶楽部の企画を担当している。「情報発信の9割はやはり東京から。多くの人が目まぐるしく動き回り接触をする。一人一人が持っている情報がぶつかりあって新しい何かに生まれ変わる」。夢は、この倶楽部から生み出された波が新たな波を呼び起こし、大きなうねりとなって全国各地に広がること。

「兵庫県ではこんなプロジェクトが進んでいますとか、こんな観光名所がありますとか、地元のPRばかりを狙った場所ではないんです。」との言葉通り、倶楽部には県関係のPR冊子はあまり目につかない。「新たな時代の流れは人と人の交流がら生まれる。そのための出会いの場を提供するんです」。時代の動向を肌で感じることが的確な県政の推進にも結びつく。

開設から3ヵ月、「どんなことができるのかマーケティング調査をしてきた」結果、その兆しが見え始めた。「友人が連れてきてくれた歌人の方が、この場所をとても気に入ってくれて。後継者が少ない文楽の振興に役立つような使い方はできないものかと・・・。学会の分科会に使いたくてと、ある大学教授も会員になってくれた」。どんな人の輪ができるのかと胸は躍る。

大学の専攻は法律だったが、ライフワークはコミュニケーション。「自分は経験できることは限られている。人と出会うことでいろんなことを教えられ、自分自身の人生が豊になる」という。卒業後、放送局のアナウンサーに、」その後はフリーになり、キャスターやパーソナリティー、ディレクター、短期大学の講師など職場を次々に変えてきたのも「コミュニケーションの表現にはいろんな方法があり、それを求めてきた」から。「転職とは考えていない」。

89年に兵庫県が全国の自治体で初めて採用した女性広報専門員に応募したのも、その一環。新聞で募集記事を見た時、「民間の感覚を生かせる職場。これまでの経験をトータルに発揮できる」と思った。視察団の応対から広報番組のキャスター、会議での講演など活動の場は幅広いが、県の仕事とは別に今でも大学講師、企業コンサルタントなどを務める。行政の枠に縛られない人脈づくりが、宮内自身を磨く。

東京に来て以来、段々と忙しい毎日になった。日にニ、三組の訪問客があり、オフィスの電話は鳴りっぱなし。家に帰っても原稿書き、大学での講義の準備と寝る間もない。月に2回は兵庫県に足を運ぶ。「自分のため、活躍の場を与えてくれている人のために」仕事をする。一人、一人との出会いがいつか、世界をつなぐヒューマン・ネットワークに結びつくと信じる。