type教養講座
ダイヤモンドタイプ(1996.4/6)

経営コンサルティング、インターネット、 イベントプロデュース・・・。
コラボレーションプロデューサーとして活躍する宮内淑子さん。

スーパーレディーがいる。企業や行政に対するコンサルティングをはじめ、広報・マルチメディア戦略の提案、イベントプロデュース、講演・出版活動と幅広い事業を展開しているワイ・ネットの社長、宮内淑子さんである。

彼女の肩書きは「コラボレーションプロデューサー」。聞き慣れない名前だが、情報をコミュニケーションによって共有していくことがコンセプトであり、その活動が注目されているのである。『21世紀先導者会議』(21世紀をリードするナビゲーター的な知識人たちの情報発信の組織)や、『コラボレーション21』(様々な分野で活躍する若手文化人が情報を共有して行動する集い)など、日本を代表するオピニオンたちをコーディネートするリーダー的存在といっても過言ではない。

ビジネスの分野では、すでに経営コンサルタントが欠点の指摘だけでかえって落ち込ませていた社内のお荷物的事業部を、ディスカッションのなかで「元気がでる」コンサルティングをし、社内の手本的部署に変身させた実績を持つ。

局アナ生活を経て、フリーのパーソナリティや大学講師として活躍していた宮内さんが、なぜ「コラボレーションという発想を持つにいたったか。平成元年に載った、「兵庫県が、全国初の女性広報専門員を1名募集」という新聞記事に端を発する。

「中心にやっていた放送番組の仕事は、その場限りで終わってしまいますから、そろそろ蓄積できるものがほしいと思っていたんです」という宮内さんは、自分を生かす機会と感じて転身を決意、応募者約500人という激戦を勝ち抜いて同職をつかみ取った。 広報活動はしてみたものの「地方自治体も自分の中だけで問題を考えていては限界がある」と感じ、情報の集積地東京に情報交流の場をつくることを思いついた。

貝原兵庫県知事の協賛も得て『ひょうご倶楽部・東京』という会員制サロンを誕生させる。情報化社会の行方
や環境などの問題意識を共有するネットワークをさらに広げ『Y.NET』という会社を設立。器ができてもそこに
人々が集まり交流するには、それだけの「しかけ」が必要である。宮内さんは、集まりやすい場所、自由にモノがいえる雰囲気づくりなどに腐心。そうした努力が実を結び、徐々にコミュニケーションが深められていった。その結果のコラボレーションなのである。

アナウンサーをめざしていたころ、彼女は「声帯が弱い」と指摘された。あきらめずに努力していたら、ある人が親身になって指導してくれたことがある。一生懸命にはしっていれば「その姿を見て、支えてくださる方が必ず現れる」と、思っている。「人との出会いが自分の人生を振り返るポイント、自分の中で出会いの意味を感じたらまず一歩踏み出してみる。そして自分にできることから出発する」という宮内さんの姿勢は、われわれにとっても得るところが多いのではないだろうか。